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<速記録>
と き 5月14日(水) 午前10時30分〜12時
ところ 長野保健所・3階会議室
参加者 90名(内訳別紙)
主 催 県議会・無所属議員連絡会(北山早苗・林奉文・丸山賢二)
県議会議員・今井正子
開会あいさつ(林奉文県議)
本日は大勢の方にお集まりいただきまして心から感謝申し上げます。この学習会は、改選された議会で、無所属議員で連絡会の3名と教育畑の今井正子さんがよびかけ人になって、開催させていただきました。この間、全県議に参加をよびかけ、さらに広く県民に参加をよびかけました。
今日は、教育委員の選任の問題を議論するのではなく、息子さんの自殺という問題を通じて教育問題を考え、行動している前島さんと一緒に、教育のあり方を考えようというものです。
司会(北山早苗議員)
前島章良さんの講演
はじめまして、須坂から来ました前島です。本日の企画をしていただいた県議のみなさまに感謝申し上げます。この6年間、なかなか私たちの思いや声が行政に届かなくて、苦心してきました。しかし、県議のみなさんに私たち被害者の声を聞いていただけるような機会をつくっていただいたこと、また各地から大勢来ていただいたことなどに、流れが変わってきたことを感じます。
私の息子・優作は、「あの4人にいじめられていた僕は死ぬ」と遺書をのこして自殺しました。しかし、須坂市教育委員会は「自殺と断定できない」といっている。このような経緯からお話をはじめたいと思います。
私は、団体職員という肩書きで、中小業者の生活や経営の相談を行う仕事をしています。その中で多重債務など、いろんな問題があり、保険金を目当てで自殺する人が県内で私たちの団体の会員だけでも7人も出ています。平日の月〜金曜日はそのように厳しい状況になる中小業者のみなさんを支える仕事をしながら、土日は全国をかけめぐり、私と同じような課題を抱えている人たちと交流する仕事で全国をかけめぐっています。
今日は、わが子を亡くして見えてきたこと、肌で感じたことをお話したいと思います。
昨日から緊張して、寝付けませんでした。息子の写真を持ってきました。この子は、写真になろうと、なんだろうと私を支えてくれています。息子は、生涯学校をさぼることがなく、40度近い熱が出ても、親が心配してカバンを隠しても見つけ出して学校へ行く子でした。
優作が自殺する半年前、1996年6月、須坂市内で中3の女の子が、いじめられた子の5人の名を書き、「いじめられて耐えきれないので、さようなら」という遺書を残して、千曲川に投身自殺しました。
その半年後、明日から3学期という日に、娘が「優ちゃんいないよ」ということで、さがしまわったら、ものほしの軒先で縄跳びのロープで首吊りをして自殺していたのです。最初は事故だと。よく軒先で遊んでいたので、ロープにひっかかったと思いました。
自殺は、正月明けの7日でした。優作は、暮れの大掃除、僕が手伝うよと、高いところの掃除を、母の手伝いをしてくれました。私は正月も仕事をしていましたが、夕方に家に戻ると、兄弟会で集まったおじさんたちに、私のかわりにお酌をしてくれている優作がいました。帰ってきた私に、優作は「お疲れさま」といってくれました。7日の当日、雪かきのあと、あたたかい鍋で夕食をすごし、美味しい、美味しいといって、なごやかな夕食でした。しかし、そうやって家族とわかれを告げ、その夜に自殺したのです。
私の人生の中でこんな悲しいことはないだろうと、しかし、その後に、こんな苦しい思いをすることがあるとは思いませんでした。
須坂病院の集中治療室に運ばれて、40分間、先生がずっと心臓マッサージをしてくれて、それは懸命の手当てでした。私たちの方から「もう結構です」といわざるを得ないまで頑張ってくださいました。先生の「本当に残念でした」という言葉が生涯耳から離れません。
警察の方から、このような自殺の場合、遺書がどこかにあるはずといわれ、さがすとズボンのポケットにありました。そこには、「暴力ではないけれど、暴力よりも悲惨だった。悲しかった。あの4人にいじめられていた僕は死ぬ」と書かれていました。
私は、「学校の中で何があったのか」と、校長先生や先生にさけびました。先生たちは「私たちも精一杯なんです」というだけ。私は、「4人に謝罪をさせてください」ともいいました。当然のことだと思いますが、これがあとになって、4人にも人権があるということで非難されることになりました。
真実を知りたいという思いでの訴えです。私たち親が理解してやれなかった優作の思いを知りたい。しかし、いまだに「いじめだとはいえない」という教育委員会の見解ですが、4人という指定がある中で、だれが、どんないじめがあったのか、真実を知りたいのです。
優作の死のまた半年後に、長野市内で感電死自殺をする子があらわれました。そのお父さんを訪問したところ、お父さんが後追い自殺をしようとしたというのです。お父さんはテニスの全国大会にまでいく方で、息子さんが小さいときからテニスを教えて、中学生で高校生レベルになりました。しかし、まわりからいじめられ、それが原因の自殺でした。お父さんは、英才教育をした自分の責任と考えたのです。会社の社長さんでしたが、社長室で自殺を図り、一命はとりとめました。その事件を機に、いじめで子を亡くした親同士でささえあおうと考えました。1999年4月に息子の仁君を亡くした小野寺さんを代表に、いじめで自殺した子の遺族のネットワークをつくりました。
どの遺族も、同じことを繰り返させないために、活動しています。最近も、信越線に18歳の女子高生が飛び込み自殺したという報道がありました。私たち遺族はこういう記事におびえるように暮らしています。
全国をまわって、すべて共通しているのは、「いじめと断定すべきでない」という教育委員会などの対応です。自殺した子たちがどんなシグナルを残しても、そういう判断なのです。文部省が、全国でいじめでの自殺と統計に示しているのは年に1、2人です。あとは「その他」の欄にはものすごい数の自殺がある。
それと、共通しているのは、学校・教育委員会は一切謝罪しない。「私が管理している学校でこんなことがおきてすみませんでした」がいえない。真実をあきらかにしてという訴えにも、「すでに済んだこと」という対応です。
私が一番こだわっていることですが、謝罪の教育を一切しない。いかに再生してほしいかが私たちの願いで、罪をつけることではありません。再生の出発点としての謝罪にこだわっているのです。
一番つらいことは、社会的風評により、親がいじめにあうことです。「親の育て方が悪いからだ」とか、「保険金目当てで殺したのだろう」とか、教育委員選任の件でもいろんなことをいわれます。私はふつうの人間です。どこまで私たちを攻めればいいのでしょうか。何か行動をおこせば「あいつはテレビに出たいから」と言われます。たしかに私はだめな父親でしたので、私一人ならなんでもいわれてもいいです。しかし、結婚を控えた娘もおり、老いた親もいるんです。
PTAもわれわれ被害者の立場にたってくれません。受験時期がくるから静かにしろといわれ、静かにしていました。しかし、PTAは、真実の解明を学校や教育委員会に求めてはくれません。PTAは人質をとられている認識だと思います。2年間、真実の解明をあいまいにしてきたので、受験時期を迎えてしまいました。なぜ、受験時期までに真実をあきらかにして、子どもたち胸のつっかえを整理してくれなかったのでしょうか。
今後の教育に求めることは、謝罪の教育をしてほしい、人の命を大切に考える教育をしてほしい、人を傷つけたら謝るということを教えてほしいのです。
優作をいじめた4人も同じ学校区、つまり近所にいます。私の家族と顔をあわせると、本人も親も逃げてしまいます。謝罪の機会を奪われた本人や家族も、教育の被害者なのです。謝罪の機会を奪われて、逃げ回らなければならない。
愛媛県松山市でのホステス殺人事件の犯人・福田和子の事件で、全国を逃げ回った犯人は、最後につかまって、「ああつかまってよかった。もう逃げ回らなくていいんだ」といったそうです。裁判の最後の一言で、「裁判長、私の罪に罰を与えてくれてありがとうございます」といった。これが教育だと思います。
悪い事例・事件は教育の場に活かされていません。優作の事件が県内であったのに、こういういじめの事件、県内の学校の道徳の時間に事例として出てきません。こういう悲しい事件を扱ってほしい。誰もが思う、望む教育のために、この事例を使ってほしいと思います。
今日は、息子が同和教育の授業で作ったポスターを持ってきました。この遺品が私たちのもとに返されたのは2年2ヵ月後、同級生が卒業する直前でした。見たら息をのむようなすごい絵でした。黒と赤と黄色の3色で描かれ、4人ににらまれている。何人かの美術の先生にこの作品を見せました。この色を使うときは「危険信号」だといわれました。これは半年前の夏休みに書いたものです。4人の顔はいじめた4人にそっくりです。怖い顔をしていて、ただし1人はやさしい顔でしたが。私は、先生方を攻めるつもりは全くありませんが、こういう絵をゆっくり観察する時間があれば、手が届いたのではないかと思います。先生方を攻めるつもりはない。しかし、ゆっくり生徒と向き合う時間がない、そういう環境にないという状況なんです。田中知事の30人学級の方針は歓迎ですが、ぜひ中学校にもしてほしいと思います。
最後に、33歳の「お子さん」のことで相談を受けた事例を紹介します。彼は、いじめにずっとあい、大人になってからひきこもりになり、親に暴力もふるう。親は、彼に4000万円かけたけれど、もう限界ですという。いじめというのはそういうふうに、大人になるまで、影響を与えるのです。いじめられていたとき、お父さん、お母さんは、守ってくれなかったじゃないかという。これからは、しっかりと向き合うからと話を根気よく続けて、心の扉を開くことができました。
私たちは訴訟をしています。これは真実をあきらかにするために、もうひとつは彼の名誉回復、そして二度とくりかえさないためにやっています。たいへんな費用がかかります。娘の婚礼費用も十分に出してやれませんでした。しかし、子どもたちが安心して通える学校をつくるために、息子から教えてもらったことを胸に頑張るつもりです。
質問タイム
今井:私も教員をしていました。教員としても苦しい立場がありますが、ご家族の苦しいお立場はよく伝わりました。「謝罪の教育」ができていないことを痛感しました。前島さんから学校や教員は何ができるか、そういうことを聞きたいと思っていましたが、今後いろいろと教えてください。今日は、この前の議会での否決で感じたことを教えてください。
前島:本心では、自分みたいな者がという気持ちがあったので、当然と思いました。この間は、まな板の鯉にされて、本当につらかった。10分おきくらいに電話があり、「自分から辞退せよ」と言われる。母は気が変になり、入院してしまいました。私は学歴もない、裁判もやっている、こんな者ですがと知事にいいましたが、知事は「だからいいんです」といってくれました。ああ、本当に県と私たちが近づいてきたと思い感動しました。地域から変えていかないと、それをスピードあげてやらないと、子どもたちがこれ以上犠牲になるのを見ているわけにはいかない。そう思って、自分がなってもいいのかなと思いました。
北山:学習会の案内は全議員に案内しました。その中で、FAXでお返事を下さった方がありました。何も返事がない方に比べて、誠実な姿勢ですばらしいと思いました。そこに書かれていることですが、「前島さんの人柄はすばらしいが、行政を相手にした裁判をしており、無言の圧力にならないか」といっています。これをどう思いますか。
もうひとつ、私はふつうの県民が議員になってもいいのではないかと思って立候補したのですが、いろんな方と話をしていて、そういう問題でいきつくところは教育のあり方です。しかし、それは大人の逃げだと思います。大人が反省し、なおさなければならないことがたくさんあります。私も小学校の教員をしていたことがあり、それを痛感してきました。抽象的ですが、前島さんが人としてあるべきこと、どう考えますか。
前島:最初のご質問ですが、係争中だからというのは、国民の一人としてくやしい思いです。私たちは、もう教育行政を動かすことができるのは司法しかないというせっぱつまった思いで裁判をしています。司法制度を活用するのは国民として当然のことだと思います。それが教育委員になるのはおかしいというのは変だと思います。教育委員は上にいて指導する立場ではなく、何か問題があれば現場にいき、一緒に考えるような人でありたいと思います。楽しい学校をつくるという立場からなら、裁判をしていることは問題がないと思います。
次のご質問は「人として」ということですが、42歳で子どもをなくして、42年間の人生を反省しています。私も弱い立場をいじめていました。事件の後、このような活動をやるようになり、職場の社長に、仕事をとるか、子どもをとるか、選択を迫られました。私は、子どものことをやっていこうと、退職というか、やめさせられたわけです。職場では私にも部下がたくさんいました。私も、部下から「今日は妻が出産日ですから休ませてくれ」という電話に、「お前が生むわけではない」と言っていたような人間でした。息子の事件で、私はふつうの父親から、すこし弱い立場に立てる人になったと思う。大勢の中で、ぬるま湯の中で生活するのはいいが、弱いものの立場で考え、行動するのは大変なことです。残された人生、弱い人たちのために、また物事をあいまいにしないでいきたいと考えています。
会場@(女性、上田):悲しい話をたんたんと話していただき、感動しました。いまだに「いじめでない」という学校に、やむなく裁判をしている、それを知事が教育委員にということで、関心を持っていました。今日はじかにお話を聞きたいと思い、他の会議の予定をやめてこっちにきました。私も教育の仕事をしていましたが、どこの学校も、自分たちの首が飛ばないように、保身するということがあります。教育の原点は、何かあったときにしっかり対応し、子どもにその姿勢を示すことではないでしょうか。事実、子どもたちが育たない。それも学校のそういう姿勢に原因の一端があるように思います。なんとか長野県の教育を日本中にいい教育だと発信できるように、頑張ってください。
会場1(女性):自殺後の話が中心でしたが、自殺前のサインがあったと思うのですが、それを教えてくれませんか。
前島:実は私たちには見えていませんでした。同じ時期に、妻と私が、それぞれの上司に相談していました。一日も学校を休まずにいくような、そして家に帰ると学校であったことをすべて話してくれるという子でした。それが7月頃から変化し、無口になった。そこで、二人が同時に上司に相談していたんですね。そしたら、「それは時期的なもの、成長の過程で、大人になろうとしている。」「中学3年くらいになれば、元のようによく話す子になる」というアドバイスに安心していました。今から考えると、そういうことでしたが、何の兆候も感じずに、元気に走り回っていると思っていました。
では、手立てをどうすればいいか、そうすれば兆候を感じられるのか、ということですが、ひとつ事例を紹介します。部屋に6つの鍵をつけて引きこもっている中学生のことを相談されて、9〜10時間、その子の部屋の前で、時にはタバコを吸いながら、廊下から話しかけました。そうしたら、「私のことをよく聞いてくれた」とドアをあけてくれました。同じ目線で話を聞くことで心を開いてくれました。これがきっかけとなり、いまは社会復帰して、アルバイターにはなった。私の経験の範囲ですが。
会場2(男):県議のみなさんには、前島さんがどうやって全国をまわって、どんな目線で語っているかを、学び、まず現場を体験してほしいと思う。そうでないと前島さんと同じ目線になれないと思います。
北山:私は、全国からひきこもりの子を預かっている「有明の家」のみなさんと交流していますが、いろんなことを学ぶ機会となっています。そういうことを通じて、しっかりやっていきたいと思います。
会場3(女):他の県議にも伝えてほしい
今井:私は自分の教員としての活動を通じて、学校に来ることができなかった子たちがたくさん変わっていくところをみてきました。現場を大切にすること、他の議員さんにも働きかけていきたいと思います。
会場4(女性、大町):今日このような学習会をもってくれた議員はそういう立場になってくれると思います。私は、教育行政に子どもまかせてしまってはいけない。地域の人たちが参加するものにしなければと思います。
前島:ここに『公立学校をひらく』というブックレットがあり、主に愛知の事例を紹介し、まさにそのような考え方の実践を説いています。教育委員会も学んでほしいと思います。
会場5(男):遺作のポスターをみてひらめいたことをお話します。少年補導員をしており、少年刑務所を見学したときに、殺人を犯した3人の子の絵の色使いが優作さんのポスターの色使いと一緒なのです。殺人を犯した子の絵と、いじめで殺された子の絵との共通点を感じました。そんなことの持つ意味みたいなものを考えてみたいと思いました。
会場6(男):県議会チェックフォーラムをやっている者です。また、DVに関する市民活動をやっている。当初は、須坂市を相手にした裁判をやっているからというのは教育委員としていかがなものかと、疑問に思ったこともありました。教育の側にいる人たちは、傲慢になりがちで、おしつけしてしまいます。家庭にも同じことがあります。ひきこもりになる人の自殺してしまう割合が多いことが知られています。遺書に「暴力ではないけれど」とありましたが、これは暴力なんです。しかし、「謝罪の教育」というのは抵抗感がありました。謝罪させてそれでいいかという点がありました。しかし、被害を受けた人に、社会は加害者の目でものをいいます。レイプ被害者の場合もそうです。そういう意味でも、ぜひ前島さんに教育委員になってほしい。そう思いました。
そして、教育委員になったら、スクールソーシャルワーカーというのを、整備してほしいと要望します。カウンセリングのテクニックではなく、相手の視線で相談をしてくれる人が必要なのです。先ほどの事例に、廊下でタバコを吸いながら、ということでしたが、そういう自然体がいいんです。子どもに寄り添ってくれる教育が必要だと思います。
北山:他にも意見があると思いますが、アンケート用紙にお書きください。内容は公開します。最後に前島さん、一言お願いします。
前島:今日は本当にありがとうございました。へたな話で恐縮ですが、みなさんの何かの参考になれば幸いです。
閉会あいさつ(丸山議員)
前島さんありがとうございました。会場から、「県議も現場に出て」というご意見がありましたが、私たちに対する叱咤激励と受け止めております。県議も人の子で、私も前島さんと同じような思いをしました。市議として教育委員をしているときに、いじめがあるという連絡を電話で受けたら、実はいじめられていたのは私の娘だったのです。無言の子どもの叫びをいかに早くつかむかが大事です。それができる人が教育行政の要所についてもらうことは大切なことだと思いました。
ぜひ、会場もみなさんも今日の話をかてにして頑張りましょう。
以上(記録・文責:傘木)
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